「普通」未満であることに耐えられるか

「普通」とか「人並み」が良いなあとけっこう思うことがあって、実はそれが非常に難しく、また、自分は「普通」未満である事を認めざるを得ない、という思考を時々繰り返しているので整理。

 

例えば、普通に大学は出ていて、容姿も普通、経済力も普通の人を考える。これだけ聞くと大した事のない人物が浮かび上がるかもしれない。しかし、よく考えると普通ということは各指標において、少なくとも上位50%以内に食い込んでいるのである。これが何を意味するかというと、普通に大学は出ていて(日本の大学進学率は約50%)、容姿も普通、経済力も普通という人物は、単純に考えて、全体の12.5%に入る立派な上位層なのである (実際には学歴が経済力に影響を与えるので、この3つ指標を満たす「普通の人」は明らかにもっと多いと思われる。正直、こんな分析をしたら怒られるだろう)

 

もっと採点する指標を増やしてもいい。性格とか、運動神経とか。すると、「普通」の人間を超えることはおろか、普通の人と渡り合う事すらどんどん難しく感じてくる。

 

こんな事を考えると、自分の中の「普通」の人のイメージに、セルフイメージが負けていると感じる。自己肯定感が下がるから止めるべきだとは思うんだけど、どうしても時々考えてしまう。「うわあ世の中クズばっかだあ、まあ自分もクズなんだけど」という事を感じたことがある人は分かるかもしれない。「汚点が本当に無い人もいるけど、そんなに多くは無さそう」という事を理解はしていても、納得していないのである。

 

多分原因は心のどこかで、自分があらゆる点で優れていたいとかいうクソわがままな渇望をどこかに隠していて、だからそういう考え方をしてしまうのだろうという見当はついている。

 

そういう意味で「世の中、金!それが全て!」とか、「やっぱり、イケメン/美少女 最高!」みたいな何か1つの指標に対して、絶対的な価値を見出している人は、実はそんなに欲張りでもないよなあと思ったり。